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2013年07月14日

106歳のスキップ 私は96歳までひとのために生きてきた

106歳のスキップ 私は96歳までひとのために生きてきた
昇地三郎【著】
亜紀書房

2012年12月五日  発行
2013年4月  点訳


 昇地三郎(ショウチサブロウ)さんは、1906年生まれの「しいのみ学園」創設者です。


 私がまだ見えていた頃、NHKテレビで著者を観てその元気さに驚いた記憶が蘇ってきました。

 当時、著者は90歳後半だったと記憶します。

 ではいつものように心に触れるセンテンスを抜粋して行きたいと思います。


第1巻

ハジメニ

●つねに新しい自分を

 私は_人を驚かす_ことが好きである。

 自分自身で材料を仕込まなければならない。

 タダ、常に工夫、改善、革新の人生だったと思う。


第1章 充実して生きる

●(九七歳からは自分のために生きる)

●(人に支えられるだけの老後ではいけない)

 人の間と書いて人間であって、自分ひとりでは人間になれない。

 老いたと思った時から老いが始まる。

 私が健康なのは、昔から歩くのが苦にナラズ、機械があればすぐに歩くようにしてイタカラダト思う。


●(異なる人との交わりが大切)

 天才とは並外れた努力をする人のコトヲ言うのではないか、とも思う。


 私は常に現状を脱却することを念頭に置いてきた。

●(流れに負けない)

●(人生は自分との戦いである)


●(子どもで若返る)

 今の世の中が悪くなったとすれば、老人と子どもを引き離したのも、その1_因ではないかと思う。

●(教養のある人は自由な人である)


●(人生に余りはない)

    小さきは小さきままに折れたルは折れたるままに

   こすもすの花咲く


第2章 工夫して生きる

●(趣味は人をびっくりさせること)

 人を驚かすためには、その材料がナケレバナラナイ。

●(韓国語は六五歳から)



●(人と自然を見つめるーー短歌の勧め)


●(自分を揺さぶる)

 子どもを砂地や草地でゴロゴロ転がすと、キャッキャッと声をあげて喜ぶ。


●(変化お喜ぶ人になる)

●(長生きなのは_工夫する人_)

●(ユーモアは身をたすく)

 私は手品もやれば、黒田節も踊れば、_博多にわか_までやる。


●(格好から入る)

 私は自分の経験から、人は外面から入って内面まで変えることがデキル、ト確言することができる。


 グループに近づくときは、まずは笑顔。

 次は褒める。


●(遊びこそが大事)

●(休憩は次の仕事なり)


第2巻

第3章 鍛えて生きる

●(日記を書く)

 韓国語で書く。

毎日書く。

 ものを見る眼が養われる。



●(口と手と足を鍛える)

 人と交わることができる。

●(手や足は外にある大脳である)

 試験の際に思いだせないとき掌を刺激すると思いだすかもしれない。

 博士は_脳は筋肉に近い存在_だと言う。脳は刺激を与え続けることで鍛えられる、というコトデアル。

●(人前で発表する)

 外部の評価を得ない限り<思い込み>にひとしい。

 _誰もやってないから止めよう_ではなく、_誰もやってないからヤル_ト言葉にしたホうガ勝ちである。

●(握手の勧め)

 焼魚などの骨や皮などに湯をさして、塩や醤油で軽く味付けたものを<医者殺し>ト言うトコロガアル。

 フト肩に手をやるだけで、言葉以上の慰みや共感の表現になる。

●(シンプル健康法)

 30回噛みの薦め

 冷水摩擦。毎朝5分間濡れタオルで全身を拭く。

 1日5分棒体操をする。

 日々の衰えは日々の運動で跳ね返す。

 天上を見て寝るのを極上とする。

 タチマチ肝臓を流れる血液が30%も増加する。

●(総入れ歯の恩恵)



第4章 教え教えられて生きる

●(金を恐れない)

 前例がないからやる。

 101歳でロシア語を勉強し始めた。

  前例を踏襲しがちである。
 ソうデはナク、先のありそうなものに目を付ける方が、断然、後がいい、と言えるのではナイダロうカ。




 以上、少しだけ抜粋してみました。

 これからの私の生き方に大きな示唆を与えてくれそうな気がします。


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Posted by 熊さん at 13:10│Comments(0)
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